![世界の歴史[コショー中心]<年表>](../member/theme/img_aaa/aaa3_hyo_ttl1.gif) |
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| 紀元前5世紀 |
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大長編叙情詩『ラーマーヤナ』(ラーマー王行状記)に‘塩とコショーで食べる’食べ物の記載あり |
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インド南西部マラバル海岸でコショーの栽培開始 |
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| 紀元前4世紀 |
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医学の父・ヒポクラテス(BC460〜375)が記す
「コショーと蜂蜜と酢を混合すると婦人病によく効く」 |
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博物学者テオフラストスが『植物誌』にpeperiという言葉でコショーを記載 |
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古代ローマ人はコショーを好み、肉以外に蜂蜜にもコショーをふって食べた |
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インド経由で東洋の香辛料がヨーロッパに輸出される |
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ローマ人はコショーを求めてインドのマラバル海岸に。ローマ帝国の皇帝ドミティアン(AD51〜96)は戦略物資としてコショーを貯蔵していた |
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| 408年 |
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| 700年代 |
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正倉院の御物の中に、コショー、クローブ、シナモンが残っている ※2 |
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イスラム教徒のアラブ人はペルシャ湾からインドのマラバル海岸に向けて数多く出航。その海岸部は「胡椒海岸」と呼ばれた |
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イスラム教徒のアラブ人が東洋の交易ルートを支配するようになり、コショーが流通しなくなってしまったが、ベネチアの商人たちがアラブ人と交易関係を結び、輸入を独占 |
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| 1204年 |
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十字軍を率いたベネチア人がコンスタンチノープルを攻撃して略奪 ※3
その後、ベネチアがコショー貿易を支配し続けた ※4 |
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| 1299年 |
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マルコ・ポーロ
『東方見聞録』にコショーの記載あり ※5
<航海航路図> |
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中国は元や明の時代にコショーをたくさん輸入 |
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| 1492年 |
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クリストファー・コロンブス
スペインからコショーを求めて西へ出航。その後の航海にてアメリカ大陸を発見
<航海航路図> |
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| 1498年 |
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ヴァスコ・ダ・ガマ
ポルトガルから出航し、カリカットに到着。インド航路の発見 ※6
<航海航路図> |
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| 1500年 |
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ペドロ・アルヴァレス・カブラル
南アメリカ大陸ブラジルを発見。翌年、スパイスをのせて帰国 |
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| 1519年 |
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| 1543年 |
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| 1549年 |
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| 1600年 |
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| 1602年 |
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オランダ 東インド会社設立
(その後、フランスの東インド会社設立、オランダの西インド会社設立が続く) ※7 |
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イギリスとオランダの競争がコショーの価格低下をもたらす ※8 |
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| 1797年 |
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アメリカ人のジョナサン・カーンズがスマトラ島で偶然にコショーを発見。これを機にアメリカもコショー等のスパイス獲得に乗り出す
→各地で生産されるようになり、価格低下 |
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| 1853年 |
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| 1868年 |
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<ハウス食品派遣講師による講義時利用の教材冊子『スパイスから世界が見える』参考>
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| ※1: |
ローマ人は街を略奪しない代償として、1200kgのコショーを支払ったが、効果はなく、コショーも街も略奪されてしまった。 |
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| ※2: |
正倉院御物といえば聖武天皇の御遺物を中心に、光明皇后が東大寺に奉納したもの。その中に、珍しい薬としてシナモン、クローブ、人参、甘草、じゃ香などとともに、胡椒(コショー)も含まれていた。 |
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| ※3: |
1096年、第1回十字軍の出発。十字軍の遠征は、兵士たちがイスラム圏の生活様式や食物を味わうことで、ヨーロッパの嗜好にも大きな影響を与えた。
当時、コショーは黄金と同じ程の高値で取引され、ベネチア人に‘天国の種子’と呼ばれた。
スパイスは貴重品だった! |
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| ※4: |
13〜15世紀にイタリアのフィレンツェを中心に、スパイスと貿易と金融業で巨万の富を築いたメディチ家の家紋は、コショーなど6種類のスパイスや薬味を模したデザインということ。
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| ※5: |
『東方見聞録』に「チパング(日本)には黄金や真珠が豊富にあり、生えている木は香木、黒胡椒・白胡椒も豊富にある」といったことが書かれていた。 |
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| ※6: |
ヴァスコ・ダ・ガマは、インド国王に、来航目的は「キリスト教とスパイスのため」と告げた。 |
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| ※7: |
オランダ商人はジャワ島のバタヴィア(現ジャカルタ)を拠点に、アジアとの貿易(主にスパイス)を独占。北米にも進出した。その後、1621年の西インド会社設立の頃には、極東のスパイス貿易を独占。それを守るために木の生えている場所を秘密にし、過剰な供給が値段を崩さないように、苗木を抜いたり、焼いたりしていた。 |
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| ※8: |
イギリスとオランダの競争に加え、中世に比べ、肉の消費量が減り、スパイスに対する情熱が後退したことも、価格低下の要因。
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