|
 |
ミイラを作るときに、古代エジプトの王侯貴族は、防腐保存のためにクミン、アニス、マジョラムを使用していたといわれる。その後、シナモンが輸入されるようになってからは、ミイラ作りにはシナモンをおもに使用し、他にクローブも使われた。
 |
 |
一方、ピラミッド建築中には、奴隷たちのスタミナ継続のためガーリックやオニオンを使用。 |
|
 |
|
 |
ナツメグを取り上げた最も古い書は、インドのバラモン教の教典ベーダ。インド古代ヒンズー人の医師たちがナツメグを頭痛、熱病、口臭消し、整腸などの医薬品として使っていると記。よって、ナツメグを生活に取り入れて使い始めたのはインドだったようだ。
(また、果肉を菓子にしたナツメグは、かつてヨーロッパでよく知られていた。エリザベス一世時代(16世紀)の栄養学者は、健康的な栄養補助食品として、学生たちにナツメグを、特に薬屋で売られている砂糖漬け、または砂糖煮を勧めていた。) |
|
 |
|
 |
パセリは死のシンボルとされ、墓にパセリをちりばめたり、人を殺す魔女の儀式にも使われていた。
 |
 |
ローズマリーは頭脳を明晰にし、記憶力をよくすると信じられ、学生はローズマリーの花輪を編んで、試験を受ける前に髪に結んだ。(中世ヨーロッパでは、「愛」「永遠」のシンボルとされた。)
 |
 |
医学の父・ヒポクラテスの『誓い』には、コリアンダーは胸焼けを防ぎ、睡眠を促進すると書かれている。
 |
 |
古代ギリシャやローマでは、ローリエは勝利と英知のシンボルとされていた。ローリエの葉や枝で編んだ冠がオリンピック競技の勝利者に与えられた。また、多くの人がタイムを勇気の象徴として親しんだ。タイムは戦いに向かう戦士にとって気を高める働きがあるといわれ、戦う前にタイム風呂に入る習慣は中世まで続いたようだ。 |
|
 |
|
 |
香辛料は薬として珍重されていた。クローブは医学的にも貴重だったが、前漢時代(BC202〜AD8年)宮廷に仕える人たちは、自分の息をクローブで薫らせてから皇帝の前に出るということが義務づけられていた。 |
|
 |
|
 |
美食を極めていたローマでは、紀元1世紀まで大量のカルダモンをインドから輸入し、消化促進に良いというアピシウスの推奨により料理や医薬に使用していた。 |
|
 |
|
 |
古代から、シナモンの甘美な香りは深い愛情を示すものと言われ、王侯貴族の間では最高の贈り物とされていた。ローマの暴君ネロは、最愛の妻の死後、ローマで使用される1年分のシナモンをかき集めてすべて焚き、最高の死出の旅への贈り物、愛の証としたと言われる。
 |
 |
ネロは、ロレンチューム(月桂樹園)に逃れ、月桂樹(ローリエ)で清められた空気を吸ってペストから身を守ったと言い伝えられている。また、ローリエの大枝には魔力が授けられていると信じられ、若い女性が恋人を他の女性から取り戻すためにローリエの葉を燃やしたり、作物の豊作、不作を占ったりした。 |
|
 |
|
 |
コショーやクローブ、ナツメグは、中世の支配者層のステイタスシンボルであった。一般庶民はガーリック、ハーブ類を利用していた。 |
|
 |
|
 |
コショーを求めた旅立ったコロンブスが最初の航海で発見したアメリカ大陸には、唐辛子があった。原地民が料理に多用する唐辛子をスペイン人たちは‘新大陸のコショー’と呼んだ。 |
|
 |
|
 |
サフランは、高級品であるがゆえに偽者も多く出回り、粗悪品を扱って逮捕された犯人が火刑に処せられたり(15世紀)、フランスでは混ぜ物を入れた者を極刑にした(16世紀)という記録も残っている。 |
|
 |
|
 |
オールスパイスの木は、スペインの探検家フランシスコ・フェルナンデスによって、ジャマイカ諸島で発見され、ヨーロッパに渡り広まった。 |
|
 |
|
 |
江戸時代の有名な浄瑠璃・歌舞伎作者である近松門左衛門の『大経師昔暦』という作品の中には「本妻の悋気(りんき/男女間のやきもちのこと)とうどんに胡椒はお定まり」という文句がある。1643年刊の『料理物語』にも「うどんには胡椒・梅、にうめんには胡椒、さんしょうの粉」と書かれており、うどんの薬味として胡椒がつきものだったよう。その当時は、魚介類の塩辛を煮立てただしを使うことも多かったので、香りが強い胡椒と相性がよかったのかもしれない。江戸後期には唐辛子の出現により、うどんの薬味に胡椒は使われなくなった。
 |
 |
バジル渡来。スパイスとしてではなく、漢方薬として利用された。水に浸した種子で目に入ったゴミを洗浄したといわれ、目箒(めぼうき)と呼ばれていた。 |
|
 |
|
 |
ペストが猛威をふるったヨーロッパで、「4人の泥棒が留守になった町の家に侵入し、罪を働いたが、4人ともペストに感染しなかった」という話があり、彼らはガーリックやシナモンなどのスパイスを酢と混ぜたものを常に身につけていたために、これがペストの予防薬となり、『四泥棒の酢』として有名になった。また、治療にあたる医師は皮でできた服を着て、くちばしのようにとがった防毒マスクをつけていた。この防毒マスクのくちばしのような部分にクローブがいっぱい詰めてあったという。 |
|
 |
|
 |
オランダにスパイスを独占されていた頃、フランス人のピエール・ボワール(ピエール・ボワーヴル)が、オランダのクローブ独占を打ち破るため、モルッカ諸島の無人島から19本のクローブの苗木を持ち出していたらしい。
また、別の説によれば、ピエール・ボワールは、オランダの支配地からスパイスの苗木や種を探すための探検隊を送り出し、ナツメグとクローブの木をフランス島の自分の庭に集めたとも言われている。 |
|


▼ピエール・ボワールの冒険 苗木を盗む〜ピエール・ポワーヴルが丁字(クローブ)
をマスカリン諸島に持ち込んだ [Dodo Extinct Birdホームページ] |